2011年12月26日
12月9日放送☆琵琶湖パール★田村真珠☆その5
Aです
ものすごく寒いです
田村さんはこんな寒い日も貝の様子見に行かれたりするんでしょうね
お待たせしました
今日は田村さんご本人についてお話をさせていただきますネ
田村まなぶさんは、ソフトな雰囲気の方です
かおりっくすとたくみんの取材にはにかみながら答えて下さいました
田村まなぶさんのお父さんは琵琶湖のお魚をとる漁師さんです。
1965年頃から真珠の養殖も始められました。
その後ほとんどが真珠の養殖をやめていく中、
真珠のお父さんは、続けるものは続けるという覚悟で<真珠養殖をずっと続けてこられました。
田村さんは子供の頃は真珠養殖については何とも思ってなかったそうです。
身近過ぎると気が付かないことってありますよネ。
そこら辺の子供達がそうであるように、
お父さんのお仕事は身近で当たり前で他のお父さんのお仕事と比べることもなく、
真珠養殖が珍しい職業だとか特に意識はしていなかったそうです。
田村さんが初めに真珠に興味を持たれたのはナント、小学校の修学旅行だそうです。
修学旅行先が三重県鳥羽市のミキモト真珠島への見学だったんですね。
田村さんは大学で水産養殖の勉強をし、
魚の研究をされていましたが、
就職活動の時あらためて「真珠を作りたい」と思い、田崎真珠株式会社に就職しました。
なぜ株式会社ミキモトではなく、田崎真珠株式会社を選ばれたのか。
ミキモトさんはすでに養殖はやめて真珠を買って加工するだけになっていたんですネ。
なので田村さんは、現場を知るため田崎さんに入社されました。
(ちなみに田崎真珠さんも、今は社内では養殖されていないそうです。)
田村さんは入社後、奄美大島でシロチョウ貝を使った真珠の養殖を経験されました。
(奥様とは奄美大島で出会われました。
結婚10周年に、初めて作った真珠の中のいいものを奥さんにプレゼントされたそうです。
素敵ですネ)
堅田に戻られてから12年くらいだそうです。
今の田村真珠では、養殖から加工、販売までされています。
琵琶湖で真珠を作るのは重要だけど、それだけでは職としてやっていけないとのことです。
田村さんは、堅田に戻ってきてから、デザインを独学でスタートされました。
特に美術大学に行かれたとかではないそうです。
もともと服とか好きで、雑誌とか絵を見て考えられるそうですが、
自分で考えてデザインするので斬新と言われるものが出来たりするそうです
ある日、お客様が木工製品を持って来られて、
こういうものを貝や真珠で出来ないかと言われることもあるそうです。
ちょうど自分もそういうの作れたらなと思っているときに見本になるようなものを見せられて、
「こういうの作りたかったんですよ」ということになったりするそうです。
不思議な偶然ですネ。
一人が面白いというものは何人も欲しがって売れたりするそうですヨ。
別の日には、貝の細工を本業としている田村さんのもとに、
小笠原で職員をしている友達からおみやげの貝の額縁が届いたりする。
笑えるけど、「こういうのも作れるんやな」と案外ヒントになったりもするそうです
細い金具を巻いて鎖を作ったり、貝がらを彫ったり、
アクセサリーを作る作業はとても細かくて、
指先の器用さも要求されます
養殖の力のいる仕事から繊細なアクセサリー作り、販売まで
トータルでお仕事をこなされる田村さんです
ものすごく寒いです
田村さんはこんな寒い日も貝の様子見に行かれたりするんでしょうね
お待たせしました
今日は田村さんご本人についてお話をさせていただきますネ
田村まなぶさんは、ソフトな雰囲気の方です
かおりっくすとたくみんの取材にはにかみながら答えて下さいました
田村まなぶさんのお父さんは琵琶湖のお魚をとる漁師さんです。
1965年頃から真珠の養殖も始められました。
その後ほとんどが真珠の養殖をやめていく中、
真珠のお父さんは、続けるものは続けるという覚悟で<真珠養殖をずっと続けてこられました。
田村さんは子供の頃は真珠養殖については何とも思ってなかったそうです。
身近過ぎると気が付かないことってありますよネ。
そこら辺の子供達がそうであるように、
お父さんのお仕事は身近で当たり前で他のお父さんのお仕事と比べることもなく、
真珠養殖が珍しい職業だとか特に意識はしていなかったそうです。
田村さんが初めに真珠に興味を持たれたのはナント、小学校の修学旅行だそうです。
修学旅行先が三重県鳥羽市のミキモト真珠島への見学だったんですね。
田村さんは大学で水産養殖の勉強をし、
魚の研究をされていましたが、
就職活動の時あらためて「真珠を作りたい」と思い、田崎真珠株式会社に就職しました。
なぜ株式会社ミキモトではなく、田崎真珠株式会社を選ばれたのか。
ミキモトさんはすでに養殖はやめて真珠を買って加工するだけになっていたんですネ。
なので田村さんは、現場を知るため田崎さんに入社されました。
(ちなみに田崎真珠さんも、今は社内では養殖されていないそうです。)
田村さんは入社後、奄美大島でシロチョウ貝を使った真珠の養殖を経験されました。
(奥様とは奄美大島で出会われました。
結婚10周年に、初めて作った真珠の中のいいものを奥さんにプレゼントされたそうです。
素敵ですネ)
堅田に戻られてから12年くらいだそうです。
今の田村真珠では、養殖から加工、販売までされています。
琵琶湖で真珠を作るのは重要だけど、それだけでは職としてやっていけないとのことです。
田村さんは、堅田に戻ってきてから、デザインを独学でスタートされました。
特に美術大学に行かれたとかではないそうです。
もともと服とか好きで、雑誌とか絵を見て考えられるそうですが、
自分で考えてデザインするので斬新と言われるものが出来たりするそうです
ある日、お客様が木工製品を持って来られて、
こういうものを貝や真珠で出来ないかと言われることもあるそうです。
ちょうど自分もそういうの作れたらなと思っているときに見本になるようなものを見せられて、
「こういうの作りたかったんですよ」ということになったりするそうです。
不思議な偶然ですネ。
一人が面白いというものは何人も欲しがって売れたりするそうですヨ。
別の日には、貝の細工を本業としている田村さんのもとに、
小笠原で職員をしている友達からおみやげの貝の額縁が届いたりする。
笑えるけど、「こういうのも作れるんやな」と案外ヒントになったりもするそうです
細い金具を巻いて鎖を作ったり、貝がらを彫ったり、
アクセサリーを作る作業はとても細かくて、
指先の器用さも要求されます
養殖の力のいる仕事から繊細なアクセサリー作り、販売まで
トータルでお仕事をこなされる田村さんです
Posted by takumix at 17:12│Comments(0)
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